家族が癌になりました②

診断を受けて、すぐに大きな病院に入院し、いろいろな検査をすることになった夫。彼には病名を告知せず、私一人の心に留めました。もちろん、小学2年生の息子にも言いませんでした。

癌と気づかない程、元気だった夫


母に電話をすると絶対泣いてしまう……
母には手紙で状況を伝えました。

1か月前にはフルマラソン、六甲縦走トレイルランと完走するぐらい元気だった夫。

入院する3か月前に受けた会社での健康診断でも、特に異常はなし。
だから、病魔がそこまで迫っていたとは、誰も気づきませんでした。

当時の携帯は電話をする機能くらい。
今の時代のように簡単に検索することはできませんでした。

だから私は図書館や本屋さんへ、食道癌の事を調べに行きました。
本に書かれている原因は、ほとんど当てはまりました。

  • 飲酒:ウイスキーをロックで飲むのが好き
  • たばこ:1日に2箱
  • 辛いもの好き:LEEの20倍カレーなど大好き
  • ストレス:毎晩の帰宅時間は日付が変わる頃

「もしかして、オレ、癌?」

ある日病室で彼に聞かれました。
「もしかして、俺、癌?」

病院の売店で見た週刊誌の記事を見て、そう思ったと言うのです。

とっさに言葉が出なかった私は、こう言う他ありませんでした。
「えっ?知らんよ。」

そのときは、本人には告知しないと、担当の医師と決めた方針でした。

告知は主治医から

その後、主治医に相談に行き、今後の手術や治療を考えると告知して、本人に理解し納得してもらう方がよいとの答えでした。

主治医から本人に伝えられました。

「先生、私は5年後生きてますか?」
「一緒に頑張りましょう」

私は帰りの車の中で思いっきり泣きました。

家では息子が待っているし、病室には彼がいる。
私が唯一泣ける場所は、この車の中だけだったのです。

当時の気持ち

当時、癌は恐ろしい病気で助からない病気だと思っていました。

1か月の間、自分だけが知っていて、彼にも息子にも悟られないようにすることが本当に辛かった。

告知をすることで、私は少しはホッとしました。

でも当事者の本人はどんなに辛かっただろう。
恐怖と不安に立ち向かってくれるだろうか。

これでよかったのだろうか……

私がしっかりしなくては。
いろんな思いが湧いてきました。

今は医療が進み、早期発見、早期治療で治る事も多くなっています。
でも、当時の私はこんな気持ちでいたのでした。