家族が癌になりました⑥

再手術の後は、熱も出ることなく元気を取り戻してきました。

体が楽になると、心にも余裕ができてきます。

閉め切っていた病室の仕切りのカーテンも開け、同室のみなさんとお話しをするようになりました。

回復期

そして少しづつリハビリをはじめました。
手術前の生活に早く戻りたいという気持ちもあり、リハビリも積極的に行いました。
「今日は階段で9階(病棟)まで往復したよ。」
「えっ?すごーい。元気になったね。」

私も病院に行くのが楽しくなってきました。
早く会いたい。
愛おしい気持ち。

彼なら生還できる。
またみんなで楽しく過ごせる。
癌を克服できると思い始めました。

看護師さんに助けられて

入院中は本当に看護師さんにはお世話になりました。

暗くなりがちな病棟において、彼女たちの笑顔と明るさ、逞しさにどれだけ助けられた事でしょう。

長らくお風呂にも入れず、毎回ホットタオルで清拭してくれますが、その時もそっと優しく背中を温めてくれます。
そのたびに主人は「あー気持ちいい」「ありがとう」と言っていました。
「前はご自分で拭いてくださいね。」「そやな。」
きゃきゃとお互い冗談を言い合ったりして明るく接してくれたりもしました。

ある時、1人の看護師さんが洗面器にお湯を入れて持ってきてくれました。
「足をつけてね。」と素手でそのお湯で足を洗ってくれました。
20代のこんな若い彼女が丁寧に丁寧に足を洗ってくれるのです。
私は涙が出てきました。
もちろん主人も「うれしー!気持ちええなぁ。」と喜んでいました。

ある看護師さんは、夜勤明けで仕事が終わって私服に着替えて、病室にきてくれました。
丸椅子に座って、3人でとりとめのない話を2時間も。
旅行の話。おいしいお店の話。スキューバーダイビングの話。
ケラケラと笑いながら話すその看護師さんに、本当に心からありがたく、希望をもらいました。

病棟の人たち

手術後、7か月入院しました。
その間に色々な方と交流を持ちました。

胃癌で入院されたイセさんは70台の男性。
末期で「痛い痛い」とよく言っていました。
看護師さんに「あの薬はよ注射して」と泣きながら訴えていました。
「イセさん。あの薬はね、さっき注射したところやからね、あと2時間我慢してね。」
「あー痛い。痛い」
そばに付き添っている奥さんは何も言えずにただ背中をさするしかありませんでした。

16歳で脳腫瘍で入院していたヒロくんは、中学まで野球をしていた少年でした。
お母さんは明るい方でよくお話しもしました。
ヒロくんは、頭に大きな手術跡があり、もう話す事できない状態でした。
ある時、ベッドのカーテンを引いてお母さんが中で「も~なんでできないんよ!」とパチパチとお尻を叩く音が。
ヒロくんは「うーうー」というだけです。
そのうちにお母さんの泣き声が聞こえてきました。
気丈な明るいお母さんも心が揺れ動いているのがわかりました。
そして何日かするとヒロくんのベッドがありません。
「個室に移ったらしいで……」
私はその部屋に行きました。ヒロくんの親戚が集まっています。
「ヒロくん。」と声を掛けましたが、もう目が白く濁ってきていました。
主人は「かわいそうに。16歳。まだまだしたかった事もあったやろうに。」

病室は色々な人がいます。
最後までおひとりで誰もお見舞いも来てくれない人。
奥さんに偉そうにいう人。
ずっとテレビばかりを見ている人。
本人はもちろんの事、家族も疲れているように思いました。
病気って嫌ですね。

Hawaiiを旅するセラピスト 谷口ひとみ

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モアニアロマ
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