手術が終わり、ICUから大部屋に移った夫は心を閉ざし、カーテンを閉め切りました。
食道癌の手術後は、20日間も飲食が禁止
縫合したところが完全にふさがるまで、水を1滴も飲むことができない夫。
しんどさもあり、イライラしていました。
「1つ言ったら10解れよ!!」
私にそのイライラをぶつけるしかないようでした。
「私も最初よく怒られましたよ。私は吸い飲み器を投げつけられましたよ。しんどいけど頑張りましょ」
同室の奥さんになぐさめてもらいました。
温厚そうなご主人でしたが、そんな時もあったんだ。
自分だけではないと思えました。
イライラ期のあとは、気弱に……
イライラ期と人と会いたくない時期が過ぎると、今度は気弱になっていきました。
私が病室に行くと、タオルを握りしめて泣くのです。
その時の私は、弱気になったら病気に負けると思い、わざと冷たく接しました。
「泣くんやったら帰るよ」
強くなってほしい、負けないでほしいとの思いだったのですが、今ならぎゅーと抱きしめて大丈夫だからねと言ってあげれたのにと少しだけ悔やまれます。
息子を信頼して耐えた日々
朝、息子を学校に送り出し、9時から夜8時まで病室の小さな丸椅子が私の居場所でした。
寝ている方が多いのですが、夫の身の回りの世話などをして、ずっとそばにいました。
何も食べられない夫には感づかれないように、10分ほどでさっと売店のサンドイッチと紙パックのコーヒーで昼食を済ませていました。
小学校2年生の息子のことは後回し。
だけど、この子は一人でも大丈夫という思いがあり、私の心は常に夫の方を向いていました。
冬、火事になったら危ないからと暖房器具はこたつだけ。
寒い部屋で、テレビを見て私の帰りを待っていた息子。
どうやってあの子を育てたのか、私は思い出せないぐらいほったらかしでした。
給食をしっかり食べておいでと学校へ送り出し、私は炊飯器のスイッチを押して出かけました。
息子はご飯と、冷蔵庫の納豆で一人で夕食を食べていたと思います。
ある日、近所の奥さんが夕飯に誘ってくれました。
「みんなと一緒でよかったね」と私が言うと
「母さん、僕、いやや。一人でパン食べとく」
家族団らんの中での食事が辛かったようです。
家族みんなで耐えた闘病生活でした。
Hawaiiを旅するセラピスト 谷口ひとみ
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